2014年1月16日木曜日

壇ノ浦の戦いで平家側が退却したら




1: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 02:22:29.39
入水を選ばず退却を選んだらどうなってましたか?



227: 日本@名無史さん 2013/10/31(木) 19:32:52.08
>>1
平家落人が少し増える。

2: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 02:25:14.91
壇ノ浦当事で500艘の船を駆り出せる力がまだあったのにね。

3: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 04:59:43.47
平家方の船に義経が乗り込んできたら船を引き上げちゃえば良かったんじゃね?

16: 日本@名無史さん 2013/09/03(火) 00:56:22.93
>>3
「あぁ、義経殿が遠のいていく」

5: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 12:23:19.86
退却って何処へ退却するんだい?
四国を追われ、山陽道も範頼軍に占拠され、
北九州も範頼に押さえられ
対馬、壱岐も範頼に抑えられたんだけど。

8: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 18:43:52.56
どこかに上陸出来なかったの?

9: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 18:48:28.88
長門も九州ももはや源氏に制圧されていた

10: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 20:21:57.64
ああ最弱宗盛軍団何処へ行く

11: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 20:55:45.52
壇ノ浦の兵士はどっから調達したんだ?

12: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 21:12:36.48
>>11松浦党、山鹿党、裏切る前の田口一族。
あとは降伏しても許される見込みのない人たち。

14: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 22:08:31.04
逆に考えるんだ。
本来は屋島で全員入水するところを頑張って逃げ延びたんだ。

17: 日本@名無史さん 2013/09/03(火) 10:50:18.52
まあ、船に乗っているのだから
沖縄か、朝鮮半島か、五島列島に逃げて、海洋帝国になるしかなかっただろうな
ただ、大勢の人間を養うのだから、沖縄や五島列島では
穀物が調達できないだろうから、済州島しかないだろうな

19: 日本@名無史さん 2013/09/03(火) 15:15:18.76
>>17>>18
朝鮮、奥州他日本海方面は門司、壱岐、対馬が源氏方に抑えられてるから壇ノ浦から直接抜けれない。
屋島敗北で瀬戸内海の制海権も失ったから
豊後水道通って南に抜けてその先どっかに行くしかない。

22: 日本@名無史さん 2013/09/03(火) 18:54:16.91
壇ノ浦から近い源氏の手薄な拠点ってなかったのか?

23: 日本@名無史さん 2013/09/03(火) 19:07:54.91
>>22
彦島。
でもこの最後の拠点落とされたら本当に最後。

25: 日本@名無史さん 2013/09/04(水) 00:42:29.97
対馬の宗氏は一応知盛の遺児が逃れて始めたことになってるよな。

26: 日本@名無史さん 2013/09/04(水) 03:49:35.50
>>25
否定説もあるけどね。
ただ、大軍団じゃなくてバラバラにそれぞれどこかに逃れるというのは
可能だったかも知れない。

28: 日本@名無史さん 2013/09/04(水) 21:17:17.48
>>26
実際は知盛の遺児じゃなくてその残党の中からリーダー格が出て僭称したんだろうね。

34: 日本@名無史さん 2013/09/06(金) 11:30:44.33
太平洋を大きく迂回。釣りしながら生き延びる。もしくは、義経が平家の船に飛び乗った瞬間、全速力で源氏方から船を遠ざけて人質。休戦協定を結ぶ。(遠方に勝手に逃げさせてもらう、もしくは関門海峡周辺からの源氏の撤退が条件)

35: 日本@名無史さん 2013/09/06(金) 16:56:05.77
>>34
なんか義経ごと沈められそうなんだがw
彼、諸将からの評判が抜群に悪いし

37: 日本@名無史さん 2013/09/06(金) 18:37:43.31
>>34
源氏方の作戦目標は「安徳天皇」と「三種の神器」の確保。
そこまで追い詰めて義経一人のためにその目標をあきらめるとは思えん。
ましてやみすみす神器ごと逃走をする海峡封鎖解除をするとも思えん。

両軍とも戦闘中に漕ぎ手が失われている可能性が大きい。
(ちなみに平氏方も相手の漕ぎ手を討っていたのではないかと最近は言われてる)
そんな状況で義経連れて一気に逃げれるかどうかわからないし、
うまく逃げれたとしても
多くの船は漕ぎ手を失っているから漂流して捕えられるか、海上で遭難するか
うまくどこかに陸地に逃れてもそこから隠れとおすのも難しい。
一番ラッキーなケースだと、無人島に流れ着いて0円無人島生活をすることだろう。

>>36
対岸にいる侍所別当和田義盛が代行するだろうから大丈夫。

38: 日本@名無史さん 2013/09/06(金) 21:21:59.56
壇ノ浦→種子島→奄美大島→琉球

44: 日本@名無史さん 2013/09/07(土) 19:14:43.44
封鎖って事は上手いこといけば海と陸から挟み撃ちできたって事か?

45: 日本@名無史さん 2013/09/07(土) 19:45:49.95
①奥州藤原氏を頼る
②大陸の高麗や宋、金を頼る
③南海の島へ

47: 日本@名無史さん 2013/09/08(日) 00:31:57.14
瀬戸内の河野水軍も源氏方、九州の航路も無理となると日本海ルートしか残ってないぞ?

52: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 03:39:19.50
義経の縁があるしそれができるかどうか…
泰衡じゃ無理

53: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 08:27:32.79
義経の場合、頼朝は義経を匿ったということを理由に
朝廷に奥州藤原氏追討宣旨を要求するんだけど
朝廷側がいい返事をしない。
それで先に出兵して既成事実を作って朝廷に追認させる、という経緯だった。

平氏が来た場合は朝廷も躊躇なく、平宗盛追討宣旨&藤原秀衡追討宣旨を出しただろう。

義経と違って時間稼ぎできないから奥州藤原氏がどう出るかは読めないなあ。

54: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 12:58:30.34
それ以前に、奥州から見れば受け入れるメリットゼロじゃないか。
それでも受け入れるほどの義理があるか?

55: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 13:40:25.92
>>54
ないな
平家の力の源である西国利権と朝廷コネクション、武士団はどれも崩壊してるし

奥州の自治を守り抜くという基本方針によれば、
鎌倉と平家が同程度の力を持ち、牽制しあう状態が望ましかったんだよね
義経はやりすぎたんや…

56: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 17:12:24.71
>>55
福原政権・鎌倉幕府・平泉独立王国の「三国時代」を狙うのが奥州にとって賢い選択だろうね
あくまで後世から見ればだけど

ただ頼朝を旗印とする勢力は、伊勢平氏政権打倒というモチベーションで成立し得た物
京都と鎌倉が拮抗する以前に、同時に存在する事すら考え難い
更にはもし頼朝がいなくとも、いずれ誰かが歴史的必然に乗っただろう
やはり武家勢力は全面対決で打倒に走るか、公家化した平家の下で個別にくすぶるかの二択

奥州藤原氏も武力で中央を抑えられない以上、その歯車が動き出して以降の介入は困難

介入可能な時期があるとすれば清盛健在の段階、平家と他の武家勢力の分断を進めた上で
後々も平家を存続させる手を打つ事だろう

その為には何としても福原京を完成させ、中央勢力を分散させなければならなかった
弱体化した平家が生き残る武器として、貿易港という力を持たせる事にもなる
そして史実以上の資金援助により増した発言力をもって、自治の黙認を引き延ばす
稼いだ時間で武家勢力のまとまりを数十年、何代かかっても催す

奥州が国力の底を見せるのが先か、歴史の舵を曲げ切るのが先か、結果の前に暗君を出し
史実通りの退場となるのか

なんてのは結果を知っているから言える選択か、それとも少しは予見した者もいたのか
とにかくこの機を逃せば後の歴史を知っている目から見ても、平家と平泉は詰みに近い

57: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 18:04:31.14
平家はまだ九州に拠点が残っているうちに瀬戸内海を脱して、薩摩あたりに
本拠地を築けばよかった。
薩摩を落とされた場合は、奄美・琉球・台湾への逃走経路を確保できる。
琉球を実効支配しながら、持久戦に入ればいいのではないか。
やがて、安徳天皇の子孫は琉球皇帝となる。

58: 日本@名無史さん 2013/09/14(土) 21:59:49.19
琉球での拠点づくりを推す意見が複数あるね
でもこの時代の琉球には、本当に本土からの落人に対抗
し得る勢力が皆無だったのかな?
伝説では為朝が琉球王国の始祖という事になってるけど

60: 日本@名無史さん 2013/09/15(日) 02:16:00.95
現地の軍にタコ殴りにあって追い返されるかもよ?
統一した国家になっていない小国の集まりだから
記録が残らなかっただけなのかも知れないじゃん

台湾も統一されていない多部族構成だけど、結構
外部からの侵入は跳ね返してるみたいだし

73: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 19:13:15.32
三種の神器を源氏に渡せばよくね?

76: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 21:05:11.47
>>73
一の谷の後の和睦交渉で安徳天皇と神器を都に返す
話がでてたんだけど
平氏側の拒否で決裂。
結局この拒否の結果源氏に平氏討伐令がだされて
範頼の西国出兵、屋島、壇の浦になったんだよね。

78: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 22:57:52.57
>>76
渡した後、本当に和睦してくれると思う?

79: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 23:33:23.88
>>78
一の谷直後の和睦当事者は平家と朝廷
朝廷は後鳥羽天皇の即位式に神器を間に合わせて
安徳天皇から譲位してもらう平和手段を望んでいたから
それさえ達せられたら全滅までは望んでなかったんじゃないかな?
宗盛あたりの命は危うかったかもしらないけど。

源氏は朝廷からの平氏追討令がなかったらは平氏そのものの攻撃はできなかったとおもう。

平氏の処分は「後白河法皇の意思」次第だったと思う。

80: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 23:39:37.25
>>79
つまりは、自分が命を失いたくなかった宗盛の悪あがきのせいで、一族滅亡の淵に沈んだということか。

81: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 23:46:32.29
>>80
命惜しさかどうかわからないが
宗盛は和睦受け入れ賛成に傾いたが
知盛、時忠の強硬派に押しきられて
和睦破棄に至ったという見方もあるようだ。

75: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 20:46:43.78
逃げるなら、範頼に九州を抑えられるまでないと駄目か
つまり壇ノ浦の戦いになった時点で詰み

77: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 21:09:22.01
>>75
頼朝は範頼に山陽、九州を抑えさせて、義経に四国を抑えさせて
平氏に降伏交渉させる構想があったかも
と言われてる。

ただ義経が早期解決をめざしてあーなった
という見方もあるらしい。

94: 日本@名無史さん 2013/09/20(金) 21:04:09.70
義仲、藤原秀衡と連携して鎌倉方と戦うことが出来たらあるいは

95: 日本@名無史さん 2013/09/20(金) 21:20:36.73
>>94
治承寿永の乱の初期に
藤原秀衡(奥州)、城助永(越後)と提携して
東国挙兵勢力を包囲殲滅する構想が平氏にはあった。
だが秀衡は動かず、城助永は休止して出兵中止、
助永の後を継いだ城助職が横田河原の戦いに敗れて
越後を義仲に奪われ
平氏の包囲構想は失敗した。

96: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 01:29:57.42
ありえねーよ
伝言力が無いに等しい時代に団結や同盟は無い
京から岩手までの伝令の往復時間を知ってるか?
先陣の考慮時間を加味すると1往復3か月は かかるぞ
目の前の戦術で勝てない奴等が同盟や戦略なんて無理無理

99: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 15:41:51.25
>>96
城氏からはやる気満々で反乱軍をやっつけるという
お手紙が都に来てたけどね。(玉葉)
壇の浦直前にどこかと組もうとした場合はムリだったと思うけどね。

100: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 16:02:31.13
城氏ごときでは無理だろ
奥州藤原氏がもっと北関東あたりにちょっかいを出してくれていれば

101: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 16:15:53.28
>>100
本命は奥州藤原氏だろうね。
結局動かなかったけど。
ただ佐竹の残党が常陸で色々策動していた頃、背後に奥州の援助があったかも
という説があるから
全く脈が無かったわけではないかも知れない。

城氏も越後だけでなく
会津にも勢力を持ってたらしいから
イメージより大勢力だったかも。
(城氏を会津から追い出したのは奥州藤原氏だけど)

102: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 16:53:57.69
もっと早めに九州を制圧し、大宰府あたりに本拠を置いて数年単位の持久戦に
持ち込めれば、その間に頼朝と義経の不和が表面化したあたりがチャンスだった
かも知れない。

義経と講和し、安徳天皇から義経に伊予守の官位を授けて、四国の守備を任せる。
新宮十郎行家も抱き込んで、畿内へ時々奇襲攻撃させるとよい。行家は負け戦が
続くだろうが、攪乱が目的なので、たとえ討死してもかまわない。

103: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 17:23:48.78
>>102
平氏が屋島に行った理由が九州を追い出されたからなんだが・・・・
この時九州を一旦制圧した平貞能(小松系)と宗盛との間が不味かった
というのも九州陥落の一要因らしい。

104: 日本@名無史さん 2013/09/21(土) 17:28:26.70
参考
平氏都落ち後の経路
瀬戸内海漂流→九州豪族に阻まれ上陸できず
→筑前の原田氏に迎え入れられる
→原田氏ごと在地豪族から攻撃される
→四国の田口氏から迎え入れの要請
→屋島へ行く、この時貞能離反
→水島の戦いなどを勝ち抜き瀬戸内海の制海権を獲得
→一の谷に進出→一の谷陥落
→朝廷から和平案を拒否→彦島を拠点化→
→三日平氏の乱→範頼の山陽道、九州制圧
→屋島→壇ノ浦

113: 日本@名無史さん 2013/09/22(日) 10:18:44.56
平家のあっけない滅亡を考えると南北朝時代の南朝方はよく粘ってるよな

114: 日本@名無史さん 2013/09/22(日) 15:44:24.25
>>113
保元の乱 負けたらすぐ出頭→おとなしく処分される
平治の乱 負けてもとりあえず逃げてみる。殺害もしくは捕縛されるまで粘る。
頼朝 負けても逃げて再起を図る
平氏 都落ちしてから二年弱西国で踏ん張る

鎌倉時代を経て

楠木正成 一度落城してもまた立ち上がる

武士たちも段々しぶとくなっていくようで

115: 日本@名無史さん 2013/09/22(日) 19:12:25.07
なんで平家って嫌われちゃったの?

117: 日本@名無史さん 2013/09/22(日) 19:29:40.81
>>115
貴族→平氏が入り込んだ為ありつける官職が減った。
院近臣→清盛と法皇が対立するたびにとばっちり
藤原一門→氏寺興福寺を焼かれた。
寺社→清盛の宗教政策(厳島優遇など)のとばっちりで既得権の危機
南都焼き討ちの反感
地方武士→平氏知行国が急に増えた為既得権消滅と混乱の発生で反感。

その他、強引な安徳天皇擁立に対する反発(治天の君指名によらない皇位)
関白の強引な交代など

はっきり言って敵をつくりすぎた。

119: 日本@名無史さん 2013/09/23(月) 00:58:01.46
>>117
おごる平氏は久しからずだよな…


後、当時の人から見たら清盛が追い落とした崇徳院や燃やした大仏の
さらには清盛たちの先祖である貞盛が討った将門公の祟りとも
思ったんじゃなかろうか

118: 日本@名無史さん 2013/09/23(月) 00:02:26.92
>>115
時間が短すぎた
藤原氏のように数世代かけて朝廷を掌握したわけではないからね
急激な勢力拡大はただでさえ敵をつくる

116: 日本@名無史さん 2013/09/22(日) 19:29:26.83
寺社勢力を敵に回したのは痛かったな
南朝のように寺社勢力の協力も得られれば吉野の山奥なんかで生き延びることもできただろうに

121: 日本@名無史さん 2013/09/25(水) 05:43:49.19
ところでなんで源氏と平氏が戦ったの?
なんで憎みあってるの?

122: 日本@名無史さん 2013/09/25(水) 08:40:25.03
>>121
平治の乱も治承寿永の乱も「源氏と平氏」の戦いではないから。
平治の乱
 二条天皇側近と院近臣の勢力争いの中で流動的な政治状況の中で
 清盛と義朝が最終的に戦う羽目になった。
治承寿永の乱
 朝廷の貴族、寺社、地方豪族が平氏に反感を持ちまくっているところに
 以仁王の令旨が発行された。
 その中で挙兵したのが源氏系武士が多かっただけ。
 (寺社や北陸、四国、九州は源氏と全く関係のない勢力が蜂起)
 六年に及ぶ内乱の間に各反平氏勢力は平氏に潰されたか
 他の反平氏勢力に吸収され
 結果的に反平氏勢力の最大勢力となった源頼朝が平氏を圧倒したに過ぎない。

源頼朝には平治の乱において中立と見られていた平清盛がいきなり二条派と結びついたゆえに
信頼と結びついていた父義朝と清盛が戦う羽目になって、
その結果父を失ったという個人的恨みを清盛に抱いていた可能性はあるけどね。

124: 日本@名無史さん 2013/09/25(水) 15:51:33.21
一の谷以降は「三種の神器」争奪戦になってたな。
安徳天皇不在中に立てた後鳥羽天皇の正統性を
主張する為に「三種の神器」が欲しい朝廷&後白河法皇と
「三種の神器」を奪還して朝廷&法皇に恩を売り付け
鎌倉の権益を獲得したい頼朝と
何が何でも神器を離したくない平氏の争い。

141: 日本@名無史さん 2013/09/27(金) 01:33:11.74
退却先は彦島しかないんで、海上封鎖されて投了でしょ
三種の神器と平家の男子の引渡しさえすれば、みな殺しは回避できるはず

142: 日本@名無史さん 2013/09/27(金) 04:02:37.43
>>141
つうか、水没から助けられた平氏一門のうち女性と最初から出家していた男子は
命まではとられていない。
二位尼などの死は本人の自発的意思。

144: 日本@名無史さん 2013/09/27(金) 10:51:51.24
源家と平家はそんなに仲が悪くなかった。
というか、両者は、互いに勢力結婚で門閥を形成していたから。

164: 日本@名無史さん 2013/10/09(水) 01:44:31.84
>>144
源 義家、義光なんか母親平氏だしね

146: 日本@名無史さん 2013/09/28(土) 06:19:08.36
平家は高位高官を占めて富と権力を握り、天皇の外戚になるところまで
到達したので、今さら妥協して他の氏族と同格の軍事貴族に戻ることは
考えられなかっただろう。
是が非でも京都を奪還して元の地位に返り咲くか、地方を要塞化して
安徳天皇を擁して自立した勢力になるしかなかったのではないか。

147: 日本@名無史さん 2013/09/28(土) 19:26:59.54
仮に三種の神器を屋島の戦いの後手渡して、平家存続の道をとってたとしたら
どうなったんだろうか。
もちろん主要な人物は処刑されちゃうだろうけど。
北条執権の時代になったら幕府の中核どころに収まるのかな

148: 日本@名無史さん 2013/09/28(土) 20:10:50.12
>>147
安徳天皇 上皇として普通に生涯を過ごす。
ただし院政はしけない。
時子、徳子 都でそれなりの生活
宗盛 望み通り讃岐国の国司になり(「玉葉」)そのまま屋島で生涯を終える
時忠 しぶとく政界復帰を遂げる
その他一門 官位面では一生干されるが、地方に下って地方武士として生きる。かな?

152: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 02:17:59.29
>>147
安徳天皇→淡路廃帝コース
重衡→史実通り処刑
これはほぼ確定じゃないか?

153: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 03:06:21.29
>>152
当時財産を持たない上皇は無力な存在。
膨大な荘園の所有者は八条院と後白河法皇の二者しかいない。
この両者が荘園の譲渡をしないと安徳天皇が退位後力を持つ事はない。
それまでの経緯を見ると後白河法皇も八条院も安徳天皇に荘園を譲渡する事はない。
従って安徳天皇は退位後人畜無害な忘れられた存在となる。
保元の乱のように、経済力を持つ存在(摂関家領を牛耳っていた忠実頼長父子のような存在)
と結びつかない限り淡路廃水帝コースを歩む事はない。

156: 日本@名無史さん 2013/10/05(土) 02:21:36.47
>>153
じゃあ九条廃帝コースか

157: 日本@名無史さん 2013/10/06(日) 22:54:45.38
瀬戸内海沿岸を拠点として対峙する作戦だと、史実どおり早期の滅亡は
免れまい。南都も西国も一枚岩で平家を支える状態にはない。
西国をすべて失陥したときに備えて、奄美・琉球方面への逃走経路を
確保しておく必要があった。

沖縄本島に安徳天皇の御座所を置いて宗盛の本軍が護衛し、奄美大島で
知盛の前衛軍が源氏の追討軍を迎え撃つ展開になれば、戦線の伸びた
源氏は厳しい戦いになるだろう。
万一、沖縄本島を失陥した場合は、御座船に安徳天皇を移し参らせ、
台湾に御座所を移動させることになる。

158: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 01:13:23.26
>>157
そこまで行ったら、源氏は追ってかないと思う
とは言え三種の神器は欲しいから、放っておくことも出来ないんで、和議を持ちかけるが、平家がそれに応ずるとは思えない
150年早く、南北朝になったかも知れんな

159: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 05:47:34.58
>>158
三浦水軍、梶原水軍などという水軍を坂東武者は持っていたし
義経の娘婿である源有綱を出した摂津源氏は渡辺党という水軍を従えていた
さらに、西は九州、北は奥州といったように日本全国で水運活動をしていた
熊野水軍も義経についたから、
追跡は可能だったと思う。

160: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 12:58:31.77
>>157
平氏は兵庫辺りですでに源氏に追いつかれてるじゃん
逃走経路を用意したところで源氏も一緒に来るだろ
結局壇ノ浦でとどめを刺されただけで

161: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 13:00:42.39
>>157
当時の沖縄は統一国家はなかったがグスクを構えた小国王は群雄割拠してたからな
平氏が受け入れられたかどうかは分からんのでは

174: 日本@名無史さん 2013/10/12(土) 23:38:53.93
木曽義仲との和議に踏み切るのが良策だったと思う。
これなら一の谷や屋島の要塞を保持したまま、都を伺うこともできた。
西国を失陥した場合も、安徳天皇と平家の本軍は沖縄・奄美方面に退いて
本陣を築くとともに、南九州を木曽義仲・新宮十郎行家に守らせて、
本土奪還をねらうこともできる。

175: 日本@名無史さん 2013/10/13(日) 22:28:49.20
>>174
行家はこの時期義仲とは険悪になって別行動している。

179: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 02:06:22.60
木曽義仲と組んだら中央政権から総スカン

181: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 13:24:18.99
>>179
義仲と離れたから朝廷に食い込めたんだわな。
それである程度の実力を持っていたから頼朝に警戒されるようになったんだが。
>>180
奥州藤原氏の方に何のメリットもないわ。

233: 日本@名無史さん 2013/11/01(金) 02:11:59.52
ちょっとまとめたいんだけど、スレのタイトル通り、壇ノ浦での退却は厳しい
っていう事でいいのかな?仮にも退却する場があるとすれば(現実的ではないが)

1.琉球
2.奥州
3.朝鮮などの異国

って事でおけ?しかも釣りをしながら。

235: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 10:13:35.46
>>233
極めて厳しいでしょうね。客観的な状況だけでなく、当事者の平家一門が
天皇を抱えていながら、その身を守ることを断念して道連れにしたってことは
完璧に絶望だったのでしょう。

それでも敢えて脱出出来たとした場合の逃亡先ですが、奥州藤原氏の保護を求めるのは
難しいかと。藤原側に受け入れる理由が無い。琉球や高麗も大同小異。
山中や孤島に隠れ住むしか無いかな。

234: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 09:24:52.72
承久の乱が起きるまでどこかで潜伏できればな

236: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 11:43:51.27
逃走ルートを考えると、奥州へ抜けるのは難しい。
西国方面しかルートはなさそうだから、南九州を本土の拠点としながら、
奄美・琉球を根拠地化して粘り抜き、承久の乱の際、京方に加勢して、
一挙に反撃するのがよいだろう。
高麗方面に抜けるには、壱岐・対馬を拠点化する必要がある。

237: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 22:58:37.94
現実的な方策としては義経軍が来る前に
範頼軍に降伏すれば全滅を免れたかも。

238: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 00:14:42.31
つーか、本拠地から逃れ立ち直れた例はあるの?

239: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 00:25:44.78
木曾義仲とか長宗我部とか龍造寺とか。

276: 日本@名無史さん 2013/12/17(火) 15:39:07.07
案外、対馬あたりに退却したらよかったのかも知らん
義経が屋島落としてから1か月、逃げ場所がなくなったのを強攻したから関門海峡ダイビング大会になったんだしな

278: 日本@名無史さん 2013/12/19(木) 14:03:28.47
逃げの姿勢に入った時点でもうだめぽ

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