2014年1月16日木曜日

後南朝のその後を研究するスレ



1: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 21:51:44.75
尊雅王以後、史書からも消えた後南朝。いったい彼らに何があったのか?真実に迫る



4: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 23:57:10.91
とりあえずコレ↓読めばいいんかね?

『後南朝史論集 吉野皇子五百年忌記念』
後南朝史編纂会 編、瀧川政次郎監修 (新樹社、1956年)
新装版(原書房、1981年7月)、瀧川の新版前書きがある
長島銀蔵『皇統秘史』(私家版、1966年)
市川元雅・小笠原秀煕『後南朝新史』(南正会、1967年) ※ 南正会は熊沢家の縁者による会
(増補版『前後南朝新史』。芳雅堂書店刊)
辰巳義人『川上村に伝わる後南朝史』(私家版、1970年10月)
安井久善『後南朝史話 歴史と文学の谷間に』(笠間選書、1975年)
中谷順一『後南朝秘史 ―南帝由来考―』(私家版、1985年)
森茂暁『闇の歴史 後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉』(角川選書、1997年) ISBN 4047032840
森茂暁『南朝全史 大覚寺統から後南朝へ』(講談社選書メチエ、2005年) ISBN 4062583348
『歴史読本No.816 特集・検証 後南朝秘録』、(2007年7月号、新人物往来社)

52: 日本@名無史さん 2012/10/20(土) 18:34:01.51
すごいね、そういう史料を持ってるんだ?
俺はセコセコ集めている最中だよ
>>4にもあるが南朝関係で読んどくべき本一覧とか
どなたかお手隙の折にでも教えてくださいな。

一次史料
-----------------------------------
考証・研究論文系
-----------------------------------
伝承系
①川上村に伝来するものやそれに類似したもの
②熊沢家関係がらみ
③美作南朝をはじめ各地の○○南朝

などなどこんな区切りで説明していただければありがたいです。
「闇の歴史 後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉」森茂暁さん
「南朝全史 大覚寺統から後南朝へ」森茂暁さん
「歴史読本 No.816 特集・検証 後南朝秘録」
「悲運の南朝皇胤並自天王祭祀について」
これぐらいしか持っとらんw




53: 日本@名無史さん 2012/10/31(水) 22:04:02.71
>>52
美作後南朝なんて捏造もいいとこだと思う。
気にしなくてOK。

328: 日本@名無史さん 2013/11/17(日) 23:45:50.98
>>324
>>52とかにもあるし、後南朝で検索すれば色々出てくるだろ。

>>327
皇室と平家を同列に扱われてもねぇ
無理矢理すぎやしないか

329: 日本@名無史さん 2013/11/18(月) 04:19:23.35
>>328
>>319
各地に後南朝の伝説があるのは良いとして
それがどうして「民間の間では常に南朝が正統だという認識」になるのかね
理路が自分勝手にすぎないとは思わないのかな
個々の伝説からそれが導き出されるというならそれを検証してやるから端的な例を挙げてみたまえ

335: 日本@名無史さん 2013/11/20(水) 00:25:46.60
>>329
各地に後南朝の伝説がある事自体が後南朝が望まれていた証拠だろう。
伝説とは人々の希望から生まれるものだ。

337: 日本@名無史さん 2013/11/20(水) 22:39:50.65
>>335
要するに君の願望を投影しているだけで史学としての検証をする気は毛頭無いのだね

5: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 23:59:37.95
熊沢家が書いた史書があるのか…

7: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 10:46:50.50
尊雅王は桜雲記・南方紀伝にも記載なし。
初出は1785年の南朝編年記略

9: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 14:44:08.93
南朝編年記略は未だ翻刻すらされてない
自分も読みたい

11: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 19:10:12.79
後亀山天皇ー小倉宮ー尊義王ー自天王(1442~1457)

以後断絶

12: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 20:19:07.31
断絶って何だろう?

13: 日本@名無史さん 2012/01/15(日) 02:10:28.61
南朝公家はどこ行ったんだろ
官職は北朝系が独占、家財も殆どないはずだが

14: 日本@名無史さん 2012/01/15(日) 07:55:39.55
>>13

その連中や悪党の子孫が南朝後胤を僭称してるんだろ


19: 日本@名無史さん 2012/01/16(月) 19:40:51.74
>>13
日野有光が挙兵している

21: 日本@名無史さん 2012/01/22(日) 23:23:28.25
>>19
あれは持明院派の資名流の子孫
義満期に別れた裏松流との争いに敗れたのが遠因
資朝流は子息邦親が山陰のどっかの国司として敗れて吉野戻ってからは不明

22: 日本@名無史さん 2012/01/23(月) 18:40:49.44
>>13

阿野がそのまま存続
経忠流近衛が北朝系花山院の養子になって花山院持忠を名乗ってる

20: 日本@名無史さん 2012/01/19(木) 21:02:12.89
花山院とか洞院の子孫はみんな出家しちゃったみたいだな

24: 日本@名無史さん 2012/01/24(火) 22:46:32.57
そう。持忠は近衛経忠の曾孫に当たるんだろうか

25: 日本@名無史さん 2012/02/22(水) 06:55:57.65
神戸市中央区の風呂谷部落は楠寺で切腹した
楠木正成の遺体に献花し、埋葬した功績により
後醍醐帝より摂津国内の花の専売を認められた由緒ある、部落です。
明治までその特権は続きました。
最後の弾佐衛門を生んだ、住吉部落とは婚姻を結ぶ事の多かった部落です。

29: 日本@名無史さん 2012/03/22(木) 21:55:27.77
>>25
いい話だなー。
昔の国はそういう感動話だらけだったんじゃないかな。

26: 日本@名無史さん 2012/03/04(日) 23:27:15.48
楠木正元が義満の暗殺を図って処刑されたというのは本当かね?

30: 日本@名無史さん 2012/04/28(土) 16:25:19.91
熊沢天皇

38: 日本@名無史さん 2012/07/07(土) 16:35:46.67
後南朝の記録って言ってもほとんどが
北朝朝廷方の日記や寺社僧侶の日記なんだよね(しかも伝聞)
どんどんジリ貧になってどどめに
それまでの融和策から義教の南朝殲滅策への方針転換
やはり発給文書とか新出史料が出てこないと厳しいな
あれだけ皇子がいたんだから一家ぐらい残っててもいいと思うが
長い潜伏、そして応仁の大乱、戦国時代
この間に自家の由緒も忘れていったんだろうか

40: 日本@名無史さん 2012/08/07(火) 20:20:05.88
北畠なんぞ南北朝合体後はちゃっかり室町幕府の守護大名におさまって、
戦国時代まで生き延びて最後は信長に滅ぼされるまで続いたけど、
意識としては普通の戦国大名と何も変わらんだろう。

55: 日本@名無史さん 2012/11/06(火) 21:18:03.74
美作後南朝については書物も少なく、闇の中のまま。

南北朝時代の末期に山陰の大々名の山名氏が南朝の断絶を避けるために
美作国の植月に後南朝の皇子を招いて開設されたのが美作後南朝。
三種の神器も美作後南朝に伝えられ、代々天皇が即位し、地元豪族達に守られて
戦国時代も生き延びたが、第8代高仁天皇が死に、後継者である良懐親王が江戸幕府
により庶民の身分に落されて美作後南朝は滅亡したとされている。

個人的には美作後南朝の存在自体を疑問視しております。
平民に落とされたにしろ子孫は続いた訳で、それらの足跡が余りにないのは
不自然ではないかと。
ましてや地元豪族が本当に支持していたなら、その後も支援するだろうし庇護もするでしょう。

突然のようにすべてが消失するなんてありえないと考えています。

58: 日本@名無史さん 2012/11/07(水) 15:01:53.41
>>55
応仁の乱で山名が担ぎ上げた「西陣の南帝」と関係はあるのか?

56: 日本@名無史さん 2012/11/06(火) 21:19:02.21
後南朝の子孫なんて現存しない。
室町幕府の施策により男子は仏門に入れられ子孫は絶えた。
自称子孫は一杯いるけど先祖が捏造したヨタ話を信じて
子孫と言ってるだけで歴史的根拠などない。系図も捏造。
思い込みで言ってたのが代を経て強固になっただけで
まさに基地外レベル。

浪漫と捏造を同一視してはいけない。

後南朝というか正確には後醍醐流は断絶に追い込まれた。
それが史実でしょ。

57: 日本@名無史さん 2012/11/06(火) 21:19:38.71
6代将軍の義教の時に、南朝皇族は滅亡させる方針に変わった。
小倉宮の子孫はじめ主要な皇族は仏門に入れられ子孫は絶えた。
それが史実。
自称傍系の子孫らしいのが細々と吉野や紀伊の山奥で活動してただけ。
活動規模はもはや山賊レベルで驚異にはならなかった。
その傍系も赤松遺臣に討たれ滅亡した。
そこから先は伝承に過ぎず南朝の名前を利用されただけ

60: 日本@名無史さん 2012/11/08(木) 17:42:25.14
南朝方の公家の子孫を称してる家ってないのかね?

63: 日本@名無史さん 2012/11/24(土) 12:17:58.72
>>60
一番メジャーなのは阿野さんか。
近衛経忠とか二条冬実なんかの系統はどうなったんだろうな

67: 日本@名無史さん 2012/12/04(火) 22:24:57.61
>>63
鷹司家諸大夫だった小林家(安政の大獄で獄死した小林良典が有名)は、
近衛経忠―経家の子孫と称する系図を持っていたとか何かで読んだけど

九条家諸大夫だった富小路家が二条家の庶流を自称したようなもんかな

104: 日本@名無史さん 2013/06/18(火) 12:17:09.47
>>60
自称はしてないけど
そうなんじゃないかなと郷土史家が言う程度の話としてなら
うちの本家

75: 日本@名無史さん 2012/12/24(月) 01:08:30.85
懐良親王はおろか、歌人の宗良親王だって辞世は残ってないでしょ。
ただ、良成親王は本来敵であるはずの了俊の作品にも目を通してた
というから、和歌を詠むぐらいの文学的な素養は備わってただろうね。

76: 日本@名無史さん 2012/12/24(月) 13:06:16.66
宗良親王は戦死した説があるから辞世も残せなかったのでは?
それに側近の子孫が後世まで生き延びたという条件も揃わないな。

93: 日本@名無史さん 2013/03/20(水) 13:20:15.55
後南朝の子孫なんて現存しない。
室町幕府の施策により男子は仏門に入れられ子孫は絶えた。
自称子孫は一杯いるけど先祖が捏造したヨタ話を信じて
子孫と言ってるだけで歴史的根拠などない。系図も捏造。
思い込みで言ってたのが代を経て強固になっただけで
まさに基地外レベル。

浪漫と捏造を同一視してはいけない。

後南朝というか正確には後醍醐流は断絶に追い込まれた。
それが史実でしょ。

在日の方で箔をつける為に、滅亡した旧大名家の
子孫を自称したりする人がいますが、それと同じ心理でしょう。
何かを誇りにしないと心の支えがないから。
その嘘を何代もつき続けると系図も、先祖伝来の宝物も捏造され、
子孫たちは本気で末裔だと言い出すのです。

108: 日本@名無史さん 2013/06/19(水) 22:37:37.42
いい加減、0か1かの幼稚な2byte思考から抜け出したらどうかね?
自天皇にせよ植月御所にせよ、もうその狭い地域だけで通用する
貴族性でしかなく、その実態も小地主、富豪程度だから
地元民間の意識=伝承には残っても、まともな記録に残ことなどまずない

110: 日本@名無史さん 2013/06/20(木) 23:00:04.28
実質を伴った後南朝の朝廷は200年くらいしか続かなかったのではないか。
それ以後の後南朝の朝廷は、室町幕府における小弓御所くらいの存在感しかなかっただろう。
昇殿を許された廷臣の数は全盛期でも数十人もいなかったのだから。

199: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 03:04:10.96
まともな政権ではなかった後南朝どころか、その前の南朝の頃でさえ、
公卿以外の廷臣、つまり官人が絶対的に不足していて、政権として機能しがたいレベルだった。

朝廷の威信にも関わる重大事業の一つであったはずの作暦すら満足には行えてなかっただろ

当然、検非違使も刑部省や京職も、満足に機能したことはなかっただろうさ

200: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 21:57:34.62
吉野には朱雀大路があったかどうかも不明なので、左京と右京に区画されていたかも疑問だ。
だから、後南朝の左京職・右京職がうまく機能していたかどうかも疑問が残るよな。

201: 日本@名無史さん 2013/10/03(木) 00:22:44.35
吉野は宮だけで都じゃない
もちろん左京右京の別もない

ただ、京はなくとも京職だけはあったかもしれんがな

ありもしない京の中に朱雀大路があった可能性などゼロだ

204: 日本@名無史さん 2013/10/03(木) 21:38:29.98
後南朝時代になるともう山の奥地に隠れていただけ状態。
紀伊半島の奥と吉野の奥にわずかに生息していただけ。
絶滅寸前の動物のようになっていたと思われ。
自称皇族だが山賊と変わらない。

218: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 15:39:52.43
後南朝の実効支配する領域は、末期になると吉野川流域のいくつかの村落に
過ぎなかったのだから、ひとつの政権としてはかなり小規模なものであった。
南帝の行う祭祀にしても、村祭りの規模を少し大きくした程度に過ぎなかった
のではないか。

219: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 22:46:02.24
>>218
いやーロマンすなぁー
流浪の王子様が村に住み着いて小さな独立国を作るって
おとぎ話のようだ。

220: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 22:53:15.69
>>219
流浪の王子様なら良いけど実際は法螺吹きの山伏だったと思う
千歩くらい譲って落人集落みたいなのを形成し得たとしてそれを独立国とか表現しちゃうのは
なるほどメルヒェンですなあ

221: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 23:39:06.49
>>220
いやでも神器を持ってる訳だから
只のホラ吹きでは無いでそ

都の寺から連れてこられた?兄弟宮も色白で優美だったろうから
山奥の村人達から見たら天使のように見えただろうね

いやーロマンすなぁ

374: 日本@名無史さん 2014/01/15(水) 00:02:22.07
西軍首脳部の間でさえ、意義があると考える人間と邪魔だと考える人間に別れて対立したぐらいだからなあ

最終的に、担ぎ出す意味なんかないってか邪魔なだけだ、という主張が勝って、うち捨てられて終わったんだよな



乱の当初には西軍討伐に積極的だった急先鋒のはずの義視さえ担ぎ出さざるを得なかった西軍が、
それだけの人材不足にもかかわらず、西陣南帝を擁立し得なかったことが、後南朝の不人気ぶりを表しているとも言える

1 件のコメント:

  1. >93: 日本@名無史さん 2013/03/20(水) 13:20:15.55
    後南朝の子孫なんて現存しない。

    存在するかもしれません。

    懐良親王の子は菊池一族の子として育てられました。

    >その嘘を何代もつき続けると系図も、先祖伝来の宝物も捏造され・・・

    懐良親王の宝物、国宝級の刀剣、鏡もありますが、
    社会的地位もない普通の庶民になってる子孫は、今更名乗りでる事はないと思います。




    子孫たちは本気で末裔だと言い出すのです

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